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戦没者追悼慰霊祭8/15

毎年8月15日の朝7時から、天満神社境内にある靖国社にて、慰霊祭を行っています。
靖国社には、稲美町天満地区の国難殉歿者332柱をお祀りしています。
今年は終戦から80年の節目となる年で、今年も天満地区遺族会の方々・稲美町長が参列されました。戦争を経験した方は少なくなってきています。世界平和の尊さを世代を超えて伝えていく重要性がますます高まっています。国安天満神社には、戦前・戦中における人々の思いが形になって残っているもの、そして、敗戦後に価値観が一変し混乱した痕跡が残っています。天満神社に残る戦争遺産は、以下の通りです。これらを通して、当時の人々の思いに触れ、平和の大切さを実感できると思います。

(1) 靖国社:昭和34年建立 天満地区の国難殉歿者332柱を祀る。すべての名前が刻まれた石盤を備える
(2) 拝殿正面中央にある奉納プロペラ
ハンザ―式単葉水上機 ヒスパノースイザー200馬力用プロペラー1個 爲一等飛行士昇格記念
昭和2年6月15日 一等飛行士兼二等航空士 宮本正義
(3) 西南役・日清役・北清役・日露役・大正三年乃至九年役(第一次世界大戦・シベリア出兵)に出征した天満地区の軍人の氏名が刻まれた石碑(靖国社の南東に位置)大正末から昭和初め頃に戦意高揚の目的で建立されたと推測できる。戦後、石碑表の上部の碑銘を、「平和記念」と書き換えてある。加えて、石碑表中央の漢文が削り取られ、新たに大きな文字で「天満神社」と深く刻まれた様子が見てとれる。(元の漢文の文字の一部は薄っすらと読み取れるので、読解にご協力いただける方を探しています)上記の改変が行われた理由を深く考えてみましょう。なお、この石碑は、もともと5メートルくらいの高さの石積みの上に立っていましたが、危険回避のため十数年前に石積み部分を撤去し地上に据えなおしました。
(4) 「義勇」「奉公」と刻まれた門柱:靖国社の北側に位置
大正十二年十一月建設「帝国在郷軍人天満村分會」と裏面に記銘あり。ただし、「帝国在郷軍人」の刻銘部分はモルタルで埋められ一見判別しづらい状態となっている。また、「義勇」「奉公」の記銘も一時はモルタルで埋められていたのではないかと推測できる。根拠(1)少量のモルタルが残っている。(2)文字部分の表面材が削れて内部構造が露出している(一旦埋めたモルタルを外した際の傷跡として)。

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