国恩祭
天保4年(1833年)、江戸時代末期の天候不順による大凶作がもとで起こった世情不安を鎮めるために、神職たちが集まり臨時大祭を行ったのが始まり。現在、旧加古・印南郡の22社が毎年2社ずつ輪番で、参集した神職たちの奉仕のもと厳粛に執り行われています。
国恩の「国」は、国家という意味と同時に「郷土」という意味でもあり、「国恩祭」は地域の繁栄と安泰を願って斎行されます。
国恩の「国」は、国家という意味と同時に「郷土」という意味でもあり、「国恩祭」は地域の繁栄と安泰を願って斎行されます。
天満神社での国恩祭
当神社にて、平成26年の国恩祭を、5月10日、11日に行いました。建立した神楽殿での獅子舞奉納や境内・社頭での稚児行列(640 名)などの賑わい行事も催しました。
令和7年国恩祭は当天満神社にて、4月26日(土)27日(日)に斎行予定です。
天満神社本殿の保存修理事業
令和7年天満神社国恩祭記念事業として、本殿の保存修理事業を行っています。元禄14年の建築以来の大規模な補修工事です。。
この事業は、氏子の皆様、企業・団体から多大なご奉賛をいただき成立しています。。
工事完了後に記念誌を発行する予定です。このサイトにて、記念誌の内容を公開予定です。
この事業は、氏子の皆様、企業・団体から多大なご奉賛をいただき成立しています。。
工事完了後に記念誌を発行する予定です。このサイトにて、記念誌の内容を公開予定です。
天満神社本殿の歴史概要
本殿は、ご祭神を祀る社殿のことで、神職らが祭祀を行う幣殿・拝殿とは別棟になっています。
現存の本殿は、元禄14 年(1701 年)に大阪の宮大工 鳥井佐兵衛によって建てられました。本殿の建築仕様の詳細が記された「三間社仕様帳目録之事」が、古文書として天満神社に伝わり所蔵されています。大宮柱の根元には、建築当時に記された部材識別記号がそのまま読み取れます。本殿の周囲に施された多数の彫刻などを、仕様帳目録と突き合わせることもできます。このように現存社殿のほとんどの箇所が三百年以上そのまま維持されてきたことがわかります。江戸時代の社寺建築の歴史的資料として、建物の来歴が明確なだけでなく文書との照らし合わせが可能なことは意義深いといえます。
現存の本殿は、元禄14 年(1701 年)に大阪の宮大工 鳥井佐兵衛によって建てられました。本殿の建築仕様の詳細が記された「三間社仕様帳目録之事」が、古文書として天満神社に伝わり所蔵されています。大宮柱の根元には、建築当時に記された部材識別記号がそのまま読み取れます。本殿の周囲に施された多数の彫刻などを、仕様帳目録と突き合わせることもできます。このように現存社殿のほとんどの箇所が三百年以上そのまま維持されてきたことがわかります。江戸時代の社寺建築の歴史的資料として、建物の来歴が明確なだけでなく文書との照らし合わせが可能なことは意義深いといえます。
天満神社建設委員会
この事業の推進に当たっては、令和4年1月に総代・総代経験者の委員構成にて「天満神社建設委員会」が発足され、その後奉賛金のお願い・取り纏め、建設業者との契約、安全祈願祭斎行、工事遂行の立ち合い、本殿保存修理事業の完了までを役目としています。
本殿修理告知看板
本殿修理中
令和7年国恩祭奉賛金御芳名録
今回の本殿保存修理事業は氏子の皆様、企業・団体の奉賛金という寄付金で執行されております。下記は令和6年10月1日時点の「本殿保存修理奉賛者御芳名録」です。