参拝のご案内
国安天満神社のご祭神は、天満天神・大年大神・市杵島姫命の三柱です。学業上達のみならず、芸能・厄除け・諸産業繁栄・子孫繁栄などのご神徳を戴くことができます。
参拝はいつでもお詣りいただけます。
駐車場(駐車場案内)をご利用いただけますが、祭事がない時は境内も駐車可能です。車いす対応のスロープを用意していますので、拝殿前までお越しいただけます。
(また、ご祈祷に関してはご祈祷ページにてご確認ください。)
参拝はいつでもお詣りいただけます。
駐車場(駐車場案内)をご利用いただけますが、祭事がない時は境内も駐車可能です。車いす対応のスロープを用意していますので、拝殿前までお越しいただけます。
(また、ご祈祷に関してはご祈祷ページにてご確認ください。)
境内の見どころ
天満大池など近隣のおすすめスポット
稲美町商工会HP
天満大池|元気まち・ふるさといなみ (inami.or.jp)
神木
豊臣秀吉が三木の別所氏を攻めた時、播州一円の城砦や寺社を打ち壊しまわった。天満神社社殿もその対象となり、取り潰しにかかろうとしたその時、社殿の傍らの神木から社殿の上へと大蛇が頭を出してきた。
秀吉がこれを見て「捨て置け、捨て置け」と言いつけたので、社殿は取り潰しを免れた。現在本殿の裏塀近くに二本の杉の巨木のすでに枯れて根元から1メートルと3メートルばかりになってしまっている。これがその大蛇のいた神木であろう。(稲美町史より)社殿傍らの杉の神木は、祭禮神式絵図(元治元年(1864))にも描かれている。社殿傍らの杉の枝ぶりが、当時の神木の姿を偲ばせる。
祭禮神式絵図:祭禮での各村の太鼓屋台の据え場所の取り決めを記したもの
秀吉がこれを見て「捨て置け、捨て置け」と言いつけたので、社殿は取り潰しを免れた。現在本殿の裏塀近くに二本の杉の巨木のすでに枯れて根元から1メートルと3メートルばかりになってしまっている。これがその大蛇のいた神木であろう。(稲美町史より)社殿傍らの杉の神木は、祭禮神式絵図(元治元年(1864))にも描かれている。社殿傍らの杉の枝ぶりが、当時の神木の姿を偲ばせる。
祭禮神式絵図:祭禮での各村の太鼓屋台の据え場所の取り決めを記したもの
手水鉢
正徳元年(1711) 国岡新村の忠太夫他十三名により寄進されたもの
菅原道真公御神忌千百年祭記念として、拝殿前に移設。
鉢の縁に残された盃状の穴・舟形の穴は、願掛けの跡とも言われている。(諸説ありますので、詳しくは当社神職までお問い合わせください。)
菅原道真公御神忌千百年祭記念として、拝殿前に移設。
鉢の縁に残された盃状の穴・舟形の穴は、願掛けの跡とも言われている。(諸説ありますので、詳しくは当社神職までお問い合わせください。)
撫で牛
菅原道真公御神忌千百年祭記念として、拝殿前に設置
天満宮の牛(御神牛)
菅原道眞公は承和十二年(八四五年)六月二十五日、巳丑(きのとうし)の年にご誕生になりました。また道眞公は延喜三年にお亡くなりになりましたが、ご遺言に「遺骸は牛車に乗せて、牛の赴く所に止めよ。」と仰せられました。そこでその牛が動かなくなった所を御墓所所と定めました。それが現在の太宰府天満宮の本殿の地です。
この他にも天神様と牛についての数多くの伝承があり、信仰の深さを知ることができます。
この神牛の臥牛像は、自分の体と同じ神牛の部分を心を込めて祈念すれば、撫でさすることにより全快するといわれています。頭部を撫でれば知恵が付くという信仰です。
「太宰府天満宮ご神牛の説明書」より抜粋なで牛のお守り:窓口にて
天満宮の牛(御神牛)
菅原道眞公は承和十二年(八四五年)六月二十五日、巳丑(きのとうし)の年にご誕生になりました。また道眞公は延喜三年にお亡くなりになりましたが、ご遺言に「遺骸は牛車に乗せて、牛の赴く所に止めよ。」と仰せられました。そこでその牛が動かなくなった所を御墓所所と定めました。それが現在の太宰府天満宮の本殿の地です。
この他にも天神様と牛についての数多くの伝承があり、信仰の深さを知ることができます。
この神牛の臥牛像は、自分の体と同じ神牛の部分を心を込めて祈念すれば、撫でさすることにより全快するといわれています。頭部を撫でれば知恵が付くという信仰です。
「太宰府天満宮ご神牛の説明書」より抜粋なで牛のお守り:窓口にて
縁結び社
鯉を愛でて、えんむすび紅梅・白梅のえんむすびお守り:窓口にて
成す石
合格石
合格絵馬・合格鉛筆:窓口にて
歌碑
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ (大宰府天満宮36代宮司菅原信貞氏の直筆)道真公1075年祭記念事業として家にして吾は恋ひむな印南野のあさぢが上に照りし月夜を